元気プロデューサー石原由美子の生涯チアリーダーブログ

石原由美子の生涯チアリーダーブログ
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『SEMBA FORUM 2009』に参加しました。

お久しぶりです、石原です。

突然ですが、私は何を隠そう生粋の浪速っ子。
6歳までは、今は長堀にある東急ハンズの裏で過ごし、
6歳から大学卒業までは谷町四丁目で過ごしました。

幼稚園も松屋町にある中央なにわ幼稚園、
小学校は中央区のど真ん中の南大江小学校、
中学は大阪府庁の横の東中学、
そして高校はまたまた府庁と大阪城の横の大手前高校、
と、大阪ど真ん中人間な私。

「よく、そんな街中に住むところあるの?」って聞かれますが、
私にとってはごく自然なことでした。

父方の祖父は中央区(旧東区)の南久宝寺(中船場)の繊維問屋を営み、
私の母方の祖父は中央区(旧南区)のから堀商店街の理事長、
その両者の子どもが南船場にある宝石屋のマダムが取り持つお見合いで引き合わされ、
そしてめでたく結婚とあいなり、生まれたのが私というわけです。

なので、大阪の街で当然ながら息を吸い、たくさんの方々のお世話になりながら、
私は大きくなりました。

そして特に、両親の家が両方とも『商売』を営んでいたことで、
小さい頃から自然と『商売』というものをすぐそばに感じながら生きてきたと思います。

特に、船場の帽子問屋の店舗には、小さい頃毎日通っていました。
店舗の上に祖母の家があったため、そこに毎日行ってたのです。

いつも幼稚園が終わると、船場にある店舗に帰ります。
店舗の1階には帽子がずらっと並んでおり、私は入口から入って
その帽子群を横目で見ながら、うなぎの寝床のような店舗をつっきって、
上にある祖母の家に行くのです。
そして、その道すがらには南久宝寺の商店街の活気に満ちた店がずらっと並んでいました。
それが、私の原風景の一つになっています。

そんな幼少時代を過ごしたため、やはり大阪の街を愛し、私なりの大阪への恩返しを考え続けた結果、
今のように「チアで関西を元気に!」という考えに至ったのかもしれません。

・・・というわけで、前置きが大変長くなってしまいましたが、
本日はその大阪のど真ん中『船場』のための
『SEMBA FORUM 2009』
というフォーラムに参加してきました。

このフォーラムは、船場を自分たちの手で、
元気で魅力あふれる街にしよう」というグループの集まりである
『せんばGENKIの会』が主催するもので、今年で5回目だそうです。

うちの父が、その『せんばGENKIの会』の一員である大阪久宝寺卸連盟
の会員であるため、誘ってもらいました。
最近、私の仕事に妙に協力的な父に内心ドキドキしながら付いて行き、
会場である大阪ガスビルで約4時間のフォーラムを聞きました。

感想は…言うまでもなく『街づくり』には「元気」が必要だということを痛感しました。
そして、『街づくり』にはその街に携わる一人一人の「愛」があって成立するものだということも感じました。

これは今回コーディネーターも務められていた大阪府立大学の教授であられる
橋爪紳也教授がパネルディスカッション中におっしゃってた事なんですが、
5年前の発足時に必要としていた「元気」と、今必要な「元気」とは質が違うと。

どういうことかというと、5年前の船場はとにかく元気がなかった。
だから「空元気」でもとにかく必要だった。
でも、今は本当の意味の「元気」が必要になっていると。

これには、元気プロデューサーを(勝手に)名乗らせてもらっている私としては
大いにうなづくものがありました。

チアも一緒で、最初は形から入る場合もある。
例えばひとりのチアリーダーが不幸のどん底に落ちてるとき、
それでもチアリーダーは誰かを元気にする存在だから
笑わなくてはいけない。。
その時に出る「笑顔」というものは、やはり「空元気」の「空笑顔」なんです。
でも、それを続けていくと、その笑顔でも誰かからの反応があったり、誰かを元気にすることができている。
それを発見すると、その不幸のどん底のチアリーダーは、いつの間にか心から元気になることが出来るんです。
それが、チアの魅力であり不思議な力の一つだと、私は思っています。
だから、誰だって人間だから元気じゃない時もある。
でも、空元気でも笑うことで、ハッピーを引き寄せることができる。私はそう痛感してるのです。

橋爪教授は、今船場に「質のいい元気」が必要と言われていました。
本当にその通りだと思います。

私も、船場を愛する人間の一人。
私なりに船場に「質のいい元気」を送り込むために何ができるかを考えてみたいと思います。

これまた橋爪教授がおっしゃった「プライド」という言葉にもピンときました。
誰もが自分の生まれ育った街を「素晴らしい街」だと言い続ける、そんなプライド。
私はプライドという言葉が大好きです。
そして、うちの父もプライドを持って、これからも船場の街で商売を続けて欲しい。心から思います。
そして、私も船場にかかわる人間として、誇りを持ち続けられる街であり続けられるよう、何せ「大阪を元気にするチアリーダーJUMPS」の代表として、
私も何か行動が出来ればと感じました。

下記写真は、懇親会会場となった大阪綿業会館。私、恥ずかしながら初体験でした。

元々一度は中を見てみたい!と予てから思っていたのですが、
実際見てみるとさすがに素敵★★



船場での繊維業が最も盛んだった時代に、各企業の寄付で建てられた本当に優雅で豪華な建築物。
お聞きする所によると、部屋毎にスタイルが違うのは、世界各国の来賓や、会員の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという設計者の配慮だとか。
それだけ、世界からの来賓が多かったってことですね。

『繊維の街船場』の全盛期を垣間見た気がします。
それだけ力があった繊維の街船場ゆかりの人間である自分を誇りに思います。




| i-jc1 | - | 22:43 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2013/08/30 5:47 PM |









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